そのかみの こゝろたづねて みだれたる すぢときわくる 玉のをぐしぞ
2009年07月12日
第十卷 賢木 三(むつましき御前十餘人ばかり)
むつましき御前(ごぜん) 十餘人ばかり 御随身(みずいじん) ことことしき姿ならで いたう忍びたまへれど
ことにひきつくろひたまへる御用意(あほむようい) いとめでたく見えたまへば 御供なる好き者ども 所がらさへ身にしみて思へり
御心(みこころ)にも などて 今まで立ちならさざりつらむ と 過ぎぬる方 悔しう思さる
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて 板屋ども あたりあたり いとかりそめなり
黒木の鳥居ども さすがに神々しう見わたされて わづらはしきけしきなるに 神司(かむづかさ)の者ども ここかしこにうちしはぶきて おのがどち 物うち言ひたるけはひなども 他にはさま變はりて見ゆ
火燒屋(ひたきや) かすかに光りて 人氣すくなく しめじめとして ここに もの思はしき人の 月日を隔てたまへらむほどを思しやるに いといみじうあはれに心苦し
北の對のさるべき所に立ち隱れたまひて 御消息聞こえたまふに 遊びはみなやめて 心にくきけはひ あまた聞こゆ
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親しい前驅の伴が十餘人ばかり 御随身(警護。君は大將であるから八人が附く決まり)も 目立たぬ姿で いたう忍び姿におはすが
やはり特別に調へた御着物御支度が御立派 御供の好き者など 場所が場所だけに興奮も一入であった
君も こんな所なら もっと足繁く通って來たのにと 心中 悔しく思はれる
もの儚げな小柴垣に圍まれ 板葺きの家など そこここに 假普請のやうに竝んでゐる
(皮つきの)黒木の鳥居など やはり神々しく見わたされ 女に逢ひに行くのは氣が引けるやうな嚴めしさ
神官達 ここかしこに咳拂ひなどしつつ 何か話し合ってゐる樣子など かういふ場所は やはり浮世離れしてゐる (篝火を炊く)火焼屋など ほんのりと光り 人氣すくなく 森としてゐる
一方で あの物思はしげな御息所が このやうな場所で 長月日 世間から遠ざかっていらしたのかと思ふと あんまり可哀さうなことであったとも 思ふ
君は北の對の然るべき場所に立ち隱れ 來訪の旨を申し上げると
管絃の音がみな止り 女房どものさはさはとした氣配 奥ゆかしく聞えて來る
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この野の宮の描寫により、およそ神域といふものが、太古さながら、凄まじいまでの嚴しさの中に營まれてゐたことが分る。そこでは、女と別れを惜しみに來た君はもちろん、第三者である從者たちにさへ、身の引き締まるほど、ぞくぞくする場所だった。
この神域に對する畏敬恐怖の念は、平安末期以降徐々に廢れて行き、まして戰後は忘却されたと言っても過言ではあるまい。今やほとんど伊勢神宮など一部の神社や、皇居の中にしか殘ってはゐまい。
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日記
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2009年07月11日
第十卷 賢木 二(もとの殿にはあからさまに渡り)
もとの殿には あからさまに渡りたまふ折々あれど いたう忍びたまへば 大將殿 え知りたまはず
たはやすく御心にまかせて 參うでたまふべき御すみかに はたあらねば おぼつかなくて月日も隔たりぬるに
院の上 おどろおどろしき御惱みにはあらで 例ならず 時々惱ませたまへば いとど御心の暇なけれど
つらき者に思ひ果てたまひなむも いとほしく 人聞き情けなくや と思し起して 野の宮に參うでたまふ
九月七日(ながつきなぬか〔のひ〕)ばかりなれば むげに今日明日 と思すに
女方も心あわたたしけれど 立ちながら と たびたび御消息ありければ いでや とは思しわづらひながら
いとあまり埋もれいたきを 物越ばかりの對面は と 人知れず待ちきこえたまひけり
遥けき野邊を分け入りたまふより いとものあはれなり 秋の花 みな衰へつつ 浅茅が原も枯れ枯れなる蟲の音(ね)に 松風すごく吹きあはせて そのこととも聞き分かれぬほどに 物の音(ね)ども絶え絶え聞こえたる いと艶(えん)なり
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御息所は もともとの御邸である六條京極には たまにお渡りになることもあるが 人目につかぬやうになさるので 大將殿はお氣附きにならない
とはいへ 神域である野宮には さう氣ままにお參りになる譯にも行かず 氣にはされながらも 月日だけがどんどんと經った
そのうち 桐壺院が さしも重いものではないが 以前とは變はり 時々患ふやうになられた
君も心の安まるときが無いのだが それでも 御息所が恨みを殘したまま下向されるのは心外でもあり また人から見れば 嘗て睦み合った人を踏んだり蹴ったりの目に合はせたやうに思はれようし さうなれば 彼女の自尊心は目茶苦茶にされてしまふ
さう思ふと 居ても立ってもをられず 野の宮へお參りになった
もう九月の七日にはなり 今日明日にも下向される頃合ひであった 君は心急くが
御息所の方も何かと氣忙しく 君からはせめて當座の對面でもとの御便りがあり
いまさら逢っても仕方ない とは思ふものの 餘り逃げ隱れするのもどうか 物越での對面なら別段構ひますまいと お心には秘めて 君をお待ち申し上げた
君は 遥々と廣い野邊を分け入るにつれ 切ないものが胸に溢れて來た 秋の花はみんな萎れてゐるし 浅茅が原も枯れ草ばかり
蟲の音に 松風がひゅうひゅう吹き合はせ 何やら遠くから音曲が それも絶え絶えに 何とも實に神妙に聞えて來る
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「女方も心あわたたしけれど 立ちながら と たびたび御消息ありければ いでや とは思しわづらひながら」
この「いでや」など、實際の發音を聞かないと、意味が通じない言葉だらう。文字で讀む場合は、前後から想像する他はない。現代語の「いやよ」等と同じで、誤解すると野暮なことになる。
ここでは、「(對面など)ごめんね」の意。しかし事前に手紙での申込みもあり、わざわざ野原まで出向いた君を追ひ返す譯にも行かぬ、といふ苦渋の配慮であらう。
「いと艶なり」
この「艷」も、よく分らない言葉だが、要するに、「遥けき野邊を分け入りたまふより いとものあはれなり 秋の花 みな衰へつつ 浅茅が原も枯れ枯れなる蟲の音に 松風すごく吹きあはせて そのこととも聞き分かれぬほどに 物の音ども絶え絶え聞こえたる」のが、作者の感じる「艷」といふものであるか。漢字の「艷」、健康な女の色氣とは隨分と違ふやうである。
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日記
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2009年07月10日
第十卷 賢木(さかき) 一(齋宮の御下り近うなりゆくままに)
齋宮(さいぐう)の御下り 近うなりゆくままに
御息所 もの心細く思ほす やむごとなく わづらはしきものにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後 さりともと世人も聞こえあつかひ 宮のうちにも心ときめきせしを
その後(のち)しも かき絶え あさましき御もてなしを見たまふに まことに憂しと思すことこそありけめと 知り果てたまひぬれば
よろづのあはれを思し捨てて ひたみちに出で立ちたまふ 親添ひて下りたまふ例(れい)も ことになけれど いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて 憂き世を行き離れむ と思すに
大將の君 さすがに 今はとかけ離れたまひなむも 口惜しく思されて 御消息ばかりは あはれなるさまにて たびたび通ふ
對面したまはむことをば 今さらにあるまじきことと 女君も思す
人は 心づきなしと思ひ置きたまふこともあらむに 我は 今すこし思ひ亂るることのまさるべきを
あいなし と心強く思すなるべし
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齋宮の御伊勢下りが近くなるにつれ 御息所はもの心細く思はれるやうになる
重々しく煩はしいものに思はれた左大臣の姫君が亡くなられたあとは
すはこそと 世人も取り沙汰し 野の宮に仕へる者たちも期待してゐたが
當の源氏の君がプッツリ 御見限りとしか思はれないやうな御態度 君もすっかりと愛想盡かしをされたに違ひない
と思ひ知ったので もう樣々の未練を振り捨て ひたすら御伊勢に向かって發たれる
母親が添ふて伊勢に下る例がある譯でもないが 齊宮が幼く 一人任せには出來無いとの口實を設け 憂き世を離れようとなさる
大將の君は 今はと遠く離れておしまひになるのが さすがにいとほしく思はれ お手紙だけは なにかと御氣持を込め たびたび通はされた
ただ 今更 對面でもなからうと 女君も思し 君の心はもう離れていらっしゃるのだから なまじっか逢ひでもすれば こちらの氣持がまた少しは搖れ動くことにもなる
無用の足掻きはすまいと 氣持を引き締められるのであらう
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「あいなし と心強く思すなるべし」
「あいなし」といふ言葉は、おそらく、「あひなし」の訛ったもので、「とくに譯もない」「關りがない」といふやうな意味合ひを持つのだらう。
しかし、「合へなし」とも混同され、うまく調合出來ないといふ意味合ひから、どうにもならないといふ場合にも使ふ。ここではその意味で、今更逢って話したところでよりが戻る譯でもない、といふ諦めの氣持で「あいなし」と割り切るのであらう。いかにも女性的、消極的な割り切り方である。
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日記
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