2009年11月26日

第十三卷 明石 二十九(秋の夜の月毛の駒よ我が戀ふる)

   第十三卷 明石 二十九(秋の夜の月毛の駒よ我が戀ふる)

 秋の夜の 月毛の駒よ 我が戀ふる 雲居を翔(かけ)れ 時の間も見む

 と うちひとりごたれたまふ

 造れるさま 木(こ)深く いたき所まさりて 見どころある住まひなり 海のつらは いかめしうおもしろく これは心細く住みたるさま ここにゐて 思ひ殘すことはあらじ と 思しやらるるに ものあはれなり

 三昧堂(さんまいだう)近くて 鐘の聲 松風に響きあひて もの悲しう 岩(いは)に生ひたる松の根ざしも 心ばへあるさまなり

 前栽(せんざい)どもに虫の聲を盡くしたり ここかしこのありさまなど御覧ず 娘住ませたる方は 心ことに磨きて 月入れたる眞木の戸口 けしきばかり押し開けたり

 うちやすらひ 何かとのたまふにも

 かうまでは見えたてまつらじ と深う思ふに もの嘆かしうて うちとけぬ心ざまを

 こよなうも人めきたるかな さしもあるまじき際の人だに かばかり言ひ寄りぬれば 心強うしもあらずならひたりしを いとかくやつれたるに あなづらはしきにや

 とねたう さまざまに思し惱めり 情けなうおし立たむも ことのさまに違へり 心比べに負けむこそ 人悪ろけれ

 など 亂れ怨みたまふさま げにもの思ひ知らむ人にこそ 見せまほしけれ

**********

〔君〕

 秋の夜の 月毛の駒よ 我が戀ふる 雲居を翔れ 時の間も見む

〔秋の夜の 月毛の駒よ 戀しいキの空を翔けよ 片時の間でも紫を見よう〕

 と うちひとりごたれ(獨り言を呟き)たまふ

〔邊りの宿の〕造れるさま 木深く いたき(至って良い)所まさりて 見どころある住まひなり

 海のつら(にある屋敷)は いかめしうおもしろく(豪壯で面白く) これ(こちらの岡邊の家)は心細く住みたるさま ここにゐて 〔いろいろなもの思ひに〕思ひ殘すことはあらじ と 思しやらるるに ものあはれなり

 三昧堂(法華三昧を修める所)近くて 鐘の聲 松風に響きあひて もの悲しう 岩に生ひたる松の根ざしも 心ばへ(心延へ 漂はせる雰圍氣)あるさまなり

 前栽どもに虫の聲を盡くしたり 〔君は〕ここかしこのありさまなど御覧ず 娘住ませたる方は 心ことに磨きて 月(月光)〔の射し〕入れたる眞木の戸口(木戸口) けしきばかり(ほんの僅かに)押し開けたり(押し開けてある)

〔君は言葉を〕うちやすらひ(躊躇ひ) 何かとのたまふにも

〔娘は〕かうまでは 〔近くで〕見えたてまつらじ(逢ひたくない)と深う思ふに もの嘆かしうて うちとけぬ心ざまを

〔君は〕こよなうも(思ひの外) 人めきたるかな(もったい振ってゐるものだな) さしもあるまじき(さう輕々しくない)際(分際)の人(女)だに かばかり〔手厚く〕言ひ寄りぬれば 心強うしもあらずならひ(軟らかくなり)たりしを

 〔こちらが〕いとかくやつれたる(零落れたの)に あなづらはしき(見下げてゐる)にや とねたう(口惜しう) さまざまに思し惱めり

〔かうなれば〕情けなう(ただひたすら行為に)おし立たむも 〔やはり〕ことのさまに違へり(相應しいことではない) 〔かといって〕心比べに負けむこそ 人悪ろけれ(面目無い話だ)

 など 亂れ怨みたまふさま げに 〔もっと〕もの思ひ知らむ人にこそ 見せまほしけれ

* * * * * * * * * *

 君は

 秋の夜の 月毛の駒よ 我が戀ふる キの雲居 翔けよ時の間

 と ぽつり 呟かれた

 邊りの屋敷 木深くて 見映えのよい 見事な住まひであった

 海沿ひの方の住まひは豪壯で良いが こちらはもの寂しく住みなしてゐるやうで ここでもの思ひに沈んでをれば さながら思ひ殘すこともあるまい などと思はれ いやでもしんみりとして來る

 法華の三昧堂が近く 鐘の聲が松風に響き合ひ もの悲しい 岩に生ひた松の根方まで 風格を漂はせてゐる

 庭の植込に蟲の音が盛る 君はあちこちを囘って御覽になる 娘を住ませた方は 凝りにも凝って 月の射し込んだ木戸が 僅かに口を開けて待ってゐた

 君は言葉に迷ひつつ 何とか仰るが 明石の君は 身近にはお逢ひすまいと決めてあるので あらうことかと まるで地藏様のやうだ

 君も おや 意外にも もったい振ってゐるのかしら とお思ひになり

 なかなかお堅い分際の人でも かう懸命に言ひ寄れば たいていは降参して軟らかくなって呉れたものだが

 やはり かう零落れてしまふと 人を下に見るのであらうかと すっかりと興醒めした氣分になり 色々と思ひ惱んでしまはれた しかし

 ここまで來たのに 虚しく歸って獨り寢といふのも うなだれた我が子がかはいさうであるし いっそムスコの意に任せるといふ手もあらうが いやいや それも野暮といふもの かといって

 このまま根比べに負けるといふのも どぢな話だし

 など むしゃくしゃ 思ひ亂れる御樣子 ったく もう少しものの分った女に見せてやりたいぐらゐだは

 だなんて 作者のあたしが興奮してどうしませう?


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2009年11月25日

第十三卷 明石 二十八(親たちはここらの年ごろの祈りの)

   第十三卷 明石 二十八(親たちはここらの年ごろの祈りの)

 親たちは ここらの年ごろの祈りの叶ふべきを思ひながら

 ゆくりかに見せたてまつりて 思し數まへざらむ時 いかなる嘆きをかせむ

 と思ひやるに ゆゆしくて

 めでたき人と聞こゆとも つらういみじうもあるべきかな 目にも見えぬ佛 神 を頼みたてまつりて 人の御心(みこころ)をも 宿世をも知らで

 など うち返し思ひ亂れたり

 君は

 このころの波の音に かの物の音を聞かばや さらずは かひなくこそ

 など 常はのたまふ

 忍びて よろしき日見て 母君のとかく思ひわづらふを聞き入れず 弟子(でし)どもなどにだに知らせず 心一つに立ちゐ かかやくばかりしつらひて

 十三日(じふさんにち)の月のはなやかにさし出でたるに ただ あたら夜の と聞こえたり

 君は 好きのさまや と思せど 御直衣(おほむなほし) たてまつりひきつくろひて 夜更かして出でたまふ

 御車(みくるま)は二なく作りたれど 所狭しとて 御馬(おほむむま)にて出でたまふ

 惟光などばかりをさぶらはせたまふ やや遠く入る所なりけり

 道のほども 四方(よも)の浦々見わたしたまひて 思ふどち見まほしき入江の月影にも まづ戀しき人の御ことを思ひ出できこえたまふに

 やがて馬引き過ぎて 赴きぬべく思す

**********

 親たちは ここら(多)の年ごろの祈りの叶ふべきを思ひながら

 ゆくりか(不用意)に見せたてまつりて 〔もし君が〕思し數まへ(女の數に入れ)ざらむ時 いかなる嘆きをかせむ

 と思ひやるに ゆゆしくて(とても恐くて)

〔君は〕めでたき人と〔は〕聞こゆとも 〔うまくゆかなければ〕つらう いみじうもあるべきかな

 目にも見えぬ佛 神 を〔空〕頼みたてまつりて 人(君)の御心をも 宿世(運命)をも知らで〔大丈夫であらうか〕

 など うち返し思ひ亂れたり

 君は

 このころの波の音に かの〔明石の君の〕物(樂)の音を聞かばや(聞きたいものだ) さらずは 〔折角の時節が〕かひなくこそ

 など 常はのたまふ

〔入道は〕 忍びて よろしき日見て 母君のとかく思ひわづらふを聞き入れず 〔入道の〕弟子どもなどにだに知らせず

 心一つに(一人勝手に)〔あれこれ〕立ちゐ(立ち働き) 〔娘の部屋を〕かかやくばかりしつらひて

 十三日の月の はなやかにさし出でたるに ただ

 あたら夜の(一人では勿體ない夜ですなぁ)

〔後撰集 源信明「あたら夜の 月と花とを 同じくは あはれ知られむ 人に見せばや」〕

 と 〔源に〕聞こえたり

 君は 好きのさまや(柄にも似合はぬ風流な)と思せど 御直衣 たてまつり(御着けになり)ひきつくろひて(身形を整へ) 夜更かして出でたまふ

 御車は二なく(最上等に)作りたれど 所狭し(窮屈だ)とて 御馬にて出でたまふ

 惟光などばかりをさぶらはせたまふ 〔岡邊の宿は〕やや遠く入る所なりけり 道のほども 四方の浦々見わたしたまひて 

 思ふどち(思ふ者同士)〔で〕見まほしき〔といふ〕入江の月影にも 

〔源氏釋「思ふどち いざ見にゆかん 玉津島 入江の底に 沈む月影」〕

 まづ戀しき人(紫)の御ことを思ひ出できこえたまふに やがて(そのまま)馬〔の手綱を〕引き過ぎて 〔キへ〕赴きぬべく思す

* * * * * * * * * *

 親たちは 多年の念願が叶ひさうだと思ひながらも

 うっかり逢はせたりして 萬が一物の數にも入れて貰へないといふことになると どんなに慘めなことになるだらう

 と思ひやられ 心配で堪らない

 君はご立派な人とは聞くが こればかりは妻問婚(ヨバヒ)のはかなさ 窮地にも追ひ込まれかねない

 目にも見えぬ佛神を頼むばかりにて 相手の御氣持 娘の運命次第といふものもどうかなア

 などと うち返し思ひ亂れるのであった

 君は 

 この頃の波の音を背景に かの姫の樂の音を聞いてみたいものだ さうでもなけりゃ ここにゐる甲斐もない など いつも仰る

 入道は この君にかけてゐるから こっっそり一人で 頃合ひを見計り 母君がとやかく心配するのも聞かず 弟子どもにも知らせず 獨斷專行して

 あれこれと一人奮鬪 娘の家も輝くばかりに設へ立て

 十三日の月の煌々と出る晩に ただ あたら夜の と 君に申し上げる

 君も 薄氣味惡い入道だと思はれるが やうやくの機會ではある 御直衣を御着けになり 身形を整へて 夜更けを待っておでましになる

 御車は至極上等であったが 窮屈だからと 御馬に跨がり 惟光などばかりお連れになる

 宿はやや遠く入った所にあった 途中 四方の浦々を御覽になるが 思ふ者同士で見たいといふ入江の月影にも

 まづはキの戀しき紫の上ばかりを思ひ出され そのまま手綱を引っ張ってキへ行ってしまひたい などと思はれた


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2009年11月24日

第十三卷 明石 二十七(いと口惜しき際の田舎人こそ )

   第十三卷 明石 二十七(いと口惜しき際の田舎人こそ )

 いと口惜(くちを)しき際(きは)の田舎人(ゐなかびと)こそ 假に下りたる人のうちとけ言につきて さやうに輕らかに語らふわざをもすなれ

 人數(ひとかず)にも思されざらむものゆゑ 我はいみじきもの思ひをや添へむ

 かく及びなき心を思へる親たちも 世籠もりて過ぐす年月こそ あいな頼みに 行く末心にくく思ふらめ なかなかなる心をや盡くさむ

 と思ひて ただこの浦におはせむほど かかる御文ばかりを聞こえかはさむこそ おろかならね

 年ごろ音にのみ聞きて いつかはさる人の御ありさまを ほのかにも見たてまつらむなど 思ひかけざりし御住まひにて まほならねど ほのかにも見たてまつり

 世になきものと聞き傳へし御琴の音(ね)をも風につけて聞き 明け暮れの御ありさま おぼつかなからで かくまで世にあるものと思し尋ぬるなどこそ 

 かかる海人のなかに朽ちぬる身にあまることなれ

 など思ふに いよいよ恥づかしうて つゆも氣近きことは思ひ寄らず

**********

〔明石の君〕

 いと口惜しき際(夢破れた分際)の田舎人こそ 假り(一時的)に〔キから〕下りたる人の うちとけ言(輕々しい言葉)につきて さやうに輕らかに語らふ(輕率に語り合ふ)わざをもすなれ

 人數(ものの數)にも思されざらむものゆゑ 我はいみじきもの思ひ(大變な惱み)をや添へむ

 かく及びなき心(大望)を思へる親たちも 世籠もりて(先長く)過ぐす年月こそ あいな頼み(當てもない願ひ)に 行く末心にくく(期待しつつ)思ふらめ

〔もし實際に望みが叶へば〕なかなかなる心をや盡くさむ(却って心勞を重ねることにならう)

 と思ひて 〔君が〕ただこの浦におはせむほど かかる御文ばかりを聞こえかはさむこそ おろかならね(上等といふもの)

 年ごろ音(噂)にのみ聞きて いつかはさる人の御ありさまをほのかにも見たてまつらむなど 思ひかけざりし御住まひにて まほ(十分)ならねど ほのかにも見たてまつり

 世になきものと聞き傳へし御琴の音をも風につけて聞き 明け暮れの御ありさま おぼつかなからで(十分に知り得て)

 かくまで〔私が〕世にあるものと〔君が〕思し尋ぬる(關心を寄せられる)などこそ かかる海人のなかに朽ちぬる身にあまることなれ

 など思ふに いよいよ恥づかしうて つゆも氣近きこと(お近づきになること)は思ひ寄らず

* * * * * * * * * *

 明石の君は思ふ 夢破れて田舎に朽ちた人間なら 假初めにキから下って來たやうな人の戯言を眞に受け さやうに輕率な關づり合ひになるかも知れないけれど

 どうせものの數にも入らないものゆゑ 結局は自分が苦しむだけのことになる

 際限も無い志しを抱く親たちも 娘の生い先が長い内こそ 當てもない空頼みに期待もしようが 萬が一 望みが叶ひでもすれば なまじひ心盡くしの苦勞が増えるだけのことにならう

 と思ひ ただ 君がこの浦に滯在する間 かうして御文だけお交はししてをれば それなりの幸せといふもの

 年ごろ噂にばかりお聞きし そのお姿を仄かにもにも拜見したいと思ってゐたのが 思ひもかけず その御住まひにて ちらとでも拜見が出來

 世にも稀なものと聞いてゐた御琴の音をも風につけて聞き 明け暮れの御様子も十分に知り得

 その上 かうまで關心を寄せて戴いたことは このやうな海人のなかに朽ちぬる身には餘ることであらう

 などと思へば いよいよ恥ぢ入り つゆもお近づきにならうとは思はれない


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