2009年06月30日

第九卷 葵 三十八(二條院には方々拂ひみがきて)

   第九卷 葵 三十八(二條院には方々拂ひみがきて)

 二條院には 方々(かたがた)拂(はら)ひみがきて 男女(をとこ をむな) 待ちきこえたり 

 上臈(じゃうらふ)ども皆參(ま)う上(のぼ)りて 我も我もと装束(しゃうぞ)き 化粧(けしゃう)じたるを見るにつけても かのゐ竝み屈じたりつるけしきどもぞ あはれに思ひ出でられたまふ

 御装束(おほむさうぞく)たてまつり替へて 西の對に渡りたまへり

 衣更(ころもがへ)の御しつらひ くもりなくあざやかに見えて よき若人(わかうど)童女(わらはべ)の 形 姿 めやすくととのへて 少納言がもてなし 心もとなきところなう 心にくし と見たまふ

 姫君 いとうつくしう ひきつくろひておはす

 久しかりつるほどに いとこよなうこそ 大人びたまひにけれ とて 
 小さき御几帳(みきちゃう)ひき上げて 見たてまつりたまへば うちそばみて 恥ぢらひたまへる御さま 飽かぬところなし

 火影(ほかげ)の御かたはらめ 頭つきなど ただ かの心盡くしきこゆる人に違(たが)ふところなくなりゆくかな と見たまふに いとうれし

 近く寄りたまひて おぼつかなかりつるほどのことどもなど 聞こえたまひて

 日ごろの物語 のどかに聞こえまほしけれど 忌ま忌ましうおぼえはべれば しばし他方(ことかた)にやすらひて 參り来む 今は とだえなく見たてまつるべければ 厭(いと)はしうさへや思されむ

 と語らひきこえたまふを 少納言はうれしと聞くものから なほ危ふく思ひきこゆ やむごとなき忍び所多うかかづらひたまへれば またわづらはしきや 立ち代はりたまはむ と思ふぞ 憎き心なるや

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 御自邸の二條院では 方々を拂ひ清め 磨き立てて 皆で お待ちしてゐた

 上役の女房ども 揃って參上し 我も我もと着飾って化粧してゐるのを見ては 左大臣邸の人々が 居竝んで燻ってゐた樣子が哀れに思はれた

 御装束のお着替へをなさり 西の對にお渡りになる

 衣服調度など すっかりと冬物へ更へてあり 曇りもなく鮮やかに見える 

 良き若女房や女の童の 姿 形 綺麗に整へてあり 紫の上乳母の少納言の差配 十分に行き屆き 心にくいばかりと御覽になる

 姫君も 可愛いらしい身ごしらへで 君は

 永らく見ぬ間に 隨分とまた大きくなられた とて 小さな御几帳(移動式カーテン臺のカーテン)を引き上げ 御覽になると

 ぷいとを向き 恥づかしがっていらっしゃる かういふのが 君には堪らずに愛ほしい

 横顔がほんのり 燈に照らされ 髮型など あの身も焦がすほどに思はれる御方に 瓜二つになられて行くやうだ

 さう御覽になると もう嬉しくて 近くへ寄られ なかなか來られず氣がかりであった日々の事などお話になり

 近頃のこと ゆっくりとお話したいが 何はともあれ まだ服喪の身を愼む方がよからうから しばらくは他所に籠り それから參りませう

 今はもういつでも逢へるやうになったのだから 貴女もうんざりされるかも知れない

 などお話をなさる 少納言は嬉しく聞きながら この君のことゆゑと なほ危ふくも思ふ なにしろ 大層なお忍び所を山ほど抱へていらっしゃる また入れ替はり立ち代はり 面倒な女どもが現れるのではなからうか

 など心配するのは 考へ過ぎといふものか


随想二題―本居宣長をめぐって (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 5巻)
posted by ゆふづつ at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする