御方に渡りたまひて 中將の君といふに 御足(みあし)など參りすさびて 大殿籠もりぬ
あしたには 若君の御もとに 御文(おほむふみ)たてまつりたまふ
あはれなる御返りを見たまふにも 盡きせぬことどものみなむ
いとつれづれに眺めがちなれど 何となき御歩き(あほむありき)も もの憂く思しなられて 思しも立たれず
姫君の 何ごともあらまほしう ととのひ果てて いとめでたうのみ見えたまふを 似げなからぬほどに はた 見なしたまへれば
けしきばみたることなど 折々聞こえ試みたまへど 見も知りたまはぬけしきなり
つれづれなるままに ただこなたにて碁打ち 偏(へん)つぎなどしつつ 日を暮らしたまふに
心ばへのらうらうじく 愛敬(あいぎゃう)づき はかなき戯(たはぶ)れごとのなかにも うつくしき筋をし出でたまへば
思し放ちたる年月こそ たださるかたのらうたさのみはありつれ しのびがたくなりて 心苦しけれど いかがありけむ
人の けぢめ 見たてまつりわくべき御仲にもあらぬに 男君はとく起きたまひて 女君はさらに起きたまはぬ朝あり
人びと いかなれば かくおはしますならむ 御心地の例ならず思さるるにや
と見たてまつり嘆くに 君は渡りたまふとて 御硯(おほむすずり)の箱を 御帳のうちにさし入れて おはしにけり
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御自分の部屋へ渡られ 女房の中將の君といふのに 御足など たっぷりと お揉ませになり お休みになる
翌朝には 夕霧の若君の御もとに 御文を差し上げる 讀むも涙の御返事を御覽になり 思ひの盡きることはない
爲すこともなし ぼぉっと過ごし勝ちなれど かといって お馴染みのあちらこちらへと お歩きになる御氣分にもなれない
紫の姫君は なにごとも良きに御成長遊ばされ 實によき佳人といってもをかしくはない 〔しかし他の男に指一本觸れさすつもりがない以上〕いつまでも娘とばかり扱ふ譯にも參らぬ そろそろが頃合ひであらうか ともお思ひになるので
それとなく試みたりはするが そっちの氣は まるで御存知もないやうな御樣子だ
つれづれなるまま ただ此方へ來ては碁を打ち 偏つぎ(漢字の偏に關する遊びか)などしつつ 日を暮らしたまふ
しかし 姫 かういふ遊びには 至って利發でいらして はかない戯れごとのなかにも 實にぴしゃりと氣の利いたことを爲さる
これを我が娘として養育した年月こそ ただただ可愛いしいとだけ思っては來たけれども 女を意識し始めると もう忍び難くなり 〔熱り立つ ムスコ娘の 板挾み〕何とも複雜な御氣持になって來られる
どんな風に進んだのであらうか 父娘と夫婦の境目は他人にはそれと見えぬものなれど ある朝 男君が早く起き出され 女君だけお起きにならぬことがあった
お仕への女房どもは どうされたのだらう お加減でもお惡いか と御心配申し上げてゐたところ
君は御自分の部屋へ歸らうと 御硯の箱を 姫の御帳の中に差し込まれ お出ましになった
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男の子の場合は、上流階級であらうと、嘗て葵上が滿十一歳の君にして上げたやうに、通常は思春期が來ると實地に仕込んでくれる女が出るものだらうが、女の子の場合は、ものの本を讀んでも、今の少女雑誌のやうに露骨な描寫がある譯でもなく、また男の仕へ人が實地に仕込む譯にも行かない。結局はものにしようとする男自身が仕込むことになる譯だが、それまで律儀に父親の役割に徹してゐた君の場合は、その心理的切り替へに正直戸惑ふ譯であらう。

