その夜さり 亥の子餠(ゐのこもちひ) 參らせたり
かかる御思ひのほどなれば ことことしきさまにはあらで こなたばかりに をかしげなる檜破籠(ひわりご)などばかりを 色々にて參れるを見たまひて
君 南のかたに出でたまひて 惟光を召して
この餠 かう數々に所狭きさまにはあらで 明日の暮れに參らせよ 今日は忌ま忌ましき日なりけり
と うちほほ笑みてのたまふ御けしきを 心とき者にて ふと思ひ寄りぬ 惟光 たしかにも承らで
げに 愛敬の初めは 日選(え)りして聞こし召すべきことにこそ さても 子の子(ねのこ)は いくつか仕うまつらすべうはべらむ
と まめだちて申せば 三つが一つかにてもあらむかし とのたまふに
心得果てて 立ちぬ もの馴れのさまや と君は思す
人にも言はで 手づからといふばかり 里にてぞ 作りゐたりける
君は こしらへわびたまひて 今はじめ盜みもて來たらむ人の心地するも いとをかしくて
年ごろあはれと思ひきこえつるは 片端(かたはし)にもあらざりけり 人の心こそ うたてあるものはあれ 今は一夜も隔てむことのわりなかるべきこと と思さる
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夜になり 君に亥の子餠〔十月初亥に作る亥の子形の餠。七種の粉を混ぜ込み、萬病祓、子孫繁盛に効くとされる〕が出される
服喪の折柄 大袈裟にはせず 西の對の姫君にだけ 洒落た檜破籠(木の皮で作った辨當箱)などばかり 色々に飾って差し上げた
それを御覽になった君は 〔初夜の翌々日に餠を食べる習慣を思ひ起こされ〕 南面に出て惟光を召され
あの餠のことだがね あんなに仰山竝べたのぢゃなくてよいから 明日の暮れ 姫に差し上げよ 今日はどうも餘り具合の宜しくない日のやうだから
と 苦笑ひしながら仰る ははぁと 勘の良い惟光はピンと來た 合點承知之助と
まこと おぼこ姫樣の御愛嬌初めは 日も選んでお召し上がりになるのが宜しいかと で さう致しますと 亥の子ならぬ 翌日の子(ね)の子(こ)餠は お幾つ差し上げたら宜しいでせうか
と 糞眞面目な顏で尋く 君が 三分の一ほどでよからう と應へると すっかり承知して返った さすがにもの馴れたものだ と君も痛く感心なさる
惟光は誰にも漏らさず 下手をすれば自分でも捏ねかねない調子で 里に籠って亥の子餠を拵へるのであった
君は姫を宥めかね 今初めて拐ってでも來たかのやうな氣さへする かうなるともう吾が娘ではなく 男としての氣持が一氣に燃え盛り
今までも可愛いと思っては來たが それどころの話ではない 人の心は暴れ馬みたいなもの 今は一夜も逢はずにゐたら 壁を蹴っぽり 床を踏み破り いったいどうなるであらうか と思はれる

