
第十三卷 明石(あかし) 一(なほ雨風やまず雷鳴り靜まらで)
なほ雨風(あめかぜ)やまず 雷(かみ)鳴り靜まらで 日ごろになりぬ
いとど ものわびしきこと 數知らず 來し方行く先 悲しき御ありさまに 心強うしも え思しなさず
いかにせまし かかりとて キに歸らむことも まだ世に許されもなくては 人笑はれなることこそまさらめ なほ これより深き山を求めてや あと絶えなまし
と思すにも
波風に騷がれてなど 人の言ひ傳へむこと 後の世まで いと輕々しき名や 流し果てむ
と思し亂る
夢にも ただ同じさまなる物のみ來つつ まつはしきこゆ と見たまふ
雲間なくて明け暮るる日數に添へて 京(きゃう)の方(かた)も いとどおぼつかなく かくながら 身を はふらかしつるにや と 心細う思せど
頭(かしら)さし出づべくもあらぬ空の亂れに 出で立ち參る人もなし 二條院よりぞ あながちにあやしき姿にて そほち參れる
道かひにてだに 人か何ぞとだに御覽じわくべくもあらず まづ追ひ拂ひつべき賤(しづ)の男(を)の むつましう あはれに思さるるも 我ながらかたじけなく 屈(くっ)しにける心のほど思ひ知らる
***(略解)***
なほ雨風やまず 雷鳴り靜まらで 日ごろ(數日)になりぬ
いとど ものわびしき(困惑するやうな)こと 數知らず 來し方〔を思ふも〕行く先〔を思ふも〕悲しき御ありさまに 心強うしも え思しなさず
いかにせまし(どうしようか) かかりとて(かうなったからといって) キに歸らむことも まだ世に許されもなくては 人笑はれなることこそまさらめ
なほ これより深き山を求めてや あと絶えなまし(行方を斷たうか) と思すにも 波風に騷がれて〔たうとう吹き流された〕など 人の言ひ傳へむこと 後の世まで いと輕々しき名や流し果てむ と思し亂る
夢にも ただ同じさま(姿)なる物のみ來つつ 〔君に〕まつはしきこゆ(るやうだ)と〔君は〕見たまふ
雲〔の晴れる〕間なくて明け暮るる日數に添へて 京の方も 〔君は〕いとどおぼつかなく(心配になり)
かくながら(このまま) 〔我が〕身を はふらかし〔放置し〕つるにや と 心細う思せど
頭さし出づ(頭を外に出す)べくもあらぬ空〔模樣〕の亂れに 〔見舞ひに〕出で立ち參る人もなし
〔ただ〕二條院よりぞ あながちに(無理をして)あやしき姿にて 〔濡れ〕そほち〔ながら〕〔使者が〕參れる
道かひ(道ですれ違った場合)にてだに 〔それが〕人か何ぞとだに御覽じわく(識別す)べくもあらず まづ追い拂ひつべき賤の男の むつましう(親しみを覺え) 〔よく來てくれたと〕あはれに思さるるも 我ながら かたじけなく(みじめで) 屈しにける心(意氣阻喪)のほど思ひ知らる
**(近代小説風)**
雨風がやまず 雷も靜まらず 幾日も經った
もうウンザリするやうなことばかり どう考へても辛くなる一方で 氣持を立て直すのも無理
ところが いかんせん いまさらキに歸らうと どの顏下げて人前に出られるものか もう笑ひ者にされるのは御免だ
いっそ 山奧深いところでも見つけ 行方でも晦ますしかないが 世間の奴ら 波風に吹き立てられ あはれ吹き流されただのと 言ふに違ひないだらうから 頭隱した尻がドジなのも締まらない話
あの夢も また同じ樣な氣味の惡いのが出て來るだけ どうもしつっこくつきまとって來る
かう何日も雲り空ばかり續くと キの事も心配になる こんな地の底で 朽ち果てるのを待つより先に だんだん氣の方が萎えて來る
なにしろこの天氣 亀よろしく首でも窄めてゐるしかない わざわざ見舞ひに來るやうな物好きもない
さすがに二條院だけからは 無理にでも 怪しげなのが ぐしょ濡れになってやって來た
道ですれ違っても化け物にしか見えない 氣持惡いから追っ拂ってやりたくなる風體 そんな小汚いのが いやに懷かしく見えるから情けない 我ながら慘め 自分が凹んでゐるのが分る

