第十三卷 明石 十三(入道の宮ばかりにはめづらかにてよみがへるさまなど)
入道の宮ばかりには めづらかにてよみがへるさまなど 聞こえたまふ
二條院のあはれなりしほどの御返りは 書きもやりたまはず うち置きうち置き おしのごひつつ 聞こえたまふ御けしき なほことなり
返す返す いみじき目の限りを盡くし果てつるありさまなれば 今はと世を思ひ離るる心のみまさりはべれど
鏡を見ても
とのたまひし面影の離るる世なきを かくおぼつかなながらや と ここら悲しきさまざまの愁(うれ)はしさは さしおかれて
遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦傳ひして
夢のうちなる心地のみして 覺め果てぬほど いかにひがこと多からむ
と げに そこはかとなく書き亂りたまへるしもぞ いと見まほしき側目(そばめ)なるを いとこよなき御心ざしのほど と 人びと見たてまつる
おのおの 故郷(ふるさと)に心細げなる言傳てすべかめり
を止みなかりし空のけしき 名殘なく澄みわたりて 漁(あさり)する海人ども誇らしげなり
須磨はいと心細く 海人の岩屋もまれなりしを 人しげき厭(いと)ひはしたまひしかど ここはまた さまことにあはれなること多くて よろづに思し慰まる
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入道の宮(藤壺)ばかりには めづらかにてよみがへるさま(思ひもよらず命拾ひした有り樣)など聞こえたまふ
二條院の〔紫の〕あはれなりし(返事が届いた)ほどの〔君の〕御返りは 書きもやりたまはず 〔書いては〕うち置き〔書いては〕うち置き 〔涙を〕おしのごひつつ 〔御返事〕聞こえたまふ御けしき なほことなり
返す返す(何度も何度も) いみじき目の限りを盡くし果てつるありさまなれば 今はと 世(俗世)を思ひ離るる心のみまさりはべれど
鏡を見ても 〔分れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても なぐさめてまし〕
とのたまひし(姫の)面影の離るる世(事)なきを かく〔逢へないままに〕おぼつかなながらや(氣掛かりなまま)〔別れることになるのか〕と ここら(これほど多くの)悲しきさまざまの愁はしさは さしおかれて
遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦傳ひして
〔遙かに 貴女を思ふ 知らない浦から さらに遠い浦に移って〕
夢のうちなる心地のみして 〔今も〕覺め果てぬほど〔であるから〕 いかにひがこと〔出鱈目〕 多からむ
と げに そこはかとなく書き亂りたまへるしもぞ いと 見まほしき側目(脇から覗いてみたくなるほど)なるを いとこよなき〔姫に對する〕御心ざしのほど と 人びと見たてまつる
おのおの 故郷に 心細げなる言傳て(便り)すべかめり
を止み(雨の小休止)なかりし空のけしき 名殘なく澄みわたりて 漁する海人ども誇らしげ(大喜び)なり
須磨はいと心細く 海人の岩屋もまれなりしを 人しげき厭ひはしたまひしかど(人氣の多いのには閉口されながら) ここはまた さまことにあはれなること多くて よろづに思し慰まる
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藤壺の入道の宮ばかりには 思ひもよらぬ態にて命拾ひした樣子など 御便り申し上げる
二條院の姫君からの あはれの文への御返事は 君もすらすら書き遣ることがかなはず 一筆して思案 二筆して投げ首と 涙を押し拭ひつつ お書きになる その御樣子は やはり尋常ではない
これでもか これでもかと ひどい目を味はひ盡くしたやうな按配にて もう俗世なんぞ捨てようとの氣持が湧いて來ましたが
鏡を見ても 〔分れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても なぐさめてまし〕
と仰った姫の面影が燒きついて離れない かうして逢へない寂しさのまま 別れることになるのか と思ふと
もう他のごたごたした苦勞や心配などどうでもよく 遙か遠くから 貴女へ思ひが飛ぶのだ 知らない浦から もっと遠い浦へ傳ひ歩きながらも
これが現實とは思へず まだ頭が普通ではないから きっと間違ひだらけなのだと思ふ
と お書きになる どことなく亂れていらっしゃるお姿に 何を書かれたのかと 脇から覗き込んでみたくなる やはり姫に對する思し召しは格別なものだと お側の人々も改めて思ふ
みなも それぞれ 故郷に 心細げな便りを書いたやうだ
片時も止まなかった雨模樣が すっかりと澄み渡って 漁をする海人どもも意氣上った
須磨は實に寂しく 海人の岩屋も稀であったが こちらの明石は 人の多い嫌ひはあったが あはれなる風情が多く 色々と御氣持も慰まった

