第十三卷 明石 十四(明石の入道行なひ勤めたるさま)
明石の入道 行なひ勤めたるさま いみじう思ひ澄ましたるを
ただこの娘一人を もてわづらひたるけしき いとかたはらいたきまで 時々漏らし愁へきこゆ
御心地にも をかしと聞きおきたまひし人なれば かくおぼえなくて めぐりおはしたるも さるべき契りあるにや と思しながら
なほ かう身を沈めたるほどは 行なひより他のことは思はじ
キの人も ただなるよりは 言ひしに違ふと思さむも 心恥づかしう思さるれば けしきだちたまふことなし
ことに觸れて 心ばせ ありさま なべてならずもありけるかな と ゆかしう思されぬにしもあらず
ここには かしこまりて みづからも をさをさ參らず もの隔たりたる下の屋(しものや)にさぶらふ
さるは 明け暮れ見たてまつらまほしう 飽かず思ひきこえて 思ふ心を叶へむ と 佛(ほとけ)神(かみ)をいよいよ念じたてまつる
年は六十(ろくじふ)ばかりになりたれど いときよげに あらまほしう 行なひさらぼひて 人のほどの あてはかなればにやあらむ
うちひがみ ほれぼれしきことはあれど いにしへのことをも知りて ものきたなからず よしづきたることも交れれば
昔物語などせさせて聞きたまふに すこしつれづれの紛れなり
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明石の入道 〔佛道に〕行なひ勤めたるさま いみじう思ひ(悟り)澄ましたるを ただこの娘一人〔の將來ばかり〕を もてわづらひたるけしき
いと かたはらいたき(傍目にも氣の毒なほど)まで 時々〔君に愚癡を〕漏らし愁へきこゆ
〔君の〕御心地にも 〔娘は〕をかしと聞きおきたまひし人なれば かく おぼえなくて(思ひがけず) めぐりおはしたるも さるべき契りあるにや と思しながら
なほ かう身を沈めたるほどは 行なひ(精進)より他のことは思はじ
キの人(紫)も ただなるよりは(かういふ時はなほ) 言ひし(君が約束したこと)に違ふと思さむも 心恥づかしう(氣が退けるやうに)思さるれば 〔娘に〕けしきだち(その氣を見せ)たまふことなし
〔しかし〕ことに觸れて 〔娘の〕心ばせ ありさま なべてならずも(竝々ならずも)ありけるかな と ゆかしう思されぬにしもあらず
ここ(君の御座所)には 〔入道は〕かしこまりて みづからも をさをさ參らず もの隔たりたる下の屋にさぶらふ
さるは(さうではあるが) 明け暮れ〔君を〕見たてまつらまほしう 飽かず思ひきこえて 思ふ心を叶へむ と 佛神を いよいよ念じたてまつる
年は六十ばかりになりたれど いときよげに(こざっぱりとし) あらまほしう(理想的に) 行なひさらぼひて(修行痩せして)
人のほど(人柄)の あてはかなればにやあらむ(上品ぽいからであらうか) うちひがみ(強情で)ほれぼれしき(阿呆らしい)ことはあれど
いにしへのこと(故實)をも知りて ものきたなからず(清々としてをり) よしづきたる(教養深い)ことも交れれば
昔物語などせさせて聞きたまふに 〔君も〕すこしつれづれの紛れなり
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明石の入道 佛道に勵む有り樣 いみじう悟り澄まして ただこの娘一人ばかりが もて惱み草のやうだ 君にも愚癡を零すことがあり 傍目にもいぢらしい
君の方も 娘の芳しいのは聞いていらしたので かうして思ひもかけず廻り逢へたのも 何かの縁だらうとは思しながら
それでもやはり かうして運氣のない間は 身を愼んだ方がよいと思はれ
キの紫も かういふ時はなほ 話が違ふはと拗ねるだらうし それもいとほしいから 娘にその氣がありさうな素振りはなさらない
しかし ことに觸れ 娘の心ばせ ありさま なかなかのものであると 引かれる氣がないでもない
入道は 君の御座所には畏まって 自分では滅多に來ない もの隔たった下屋の方に控へてゐる
ただ さうはしながら 明け暮れ君とお逢ひしたく 飽かず憧れて 念願を叶へようと ますます佛神に念じ奉った
年は六十ばかりになってゐるが なかなかこざっぱりとし ほどよい具合に修行痩せし
人柄も上品ぽく見え 少々強情で馬鹿っぽいところはあるが 故實もよく知り 清々としてをり 教養深いところも匂はせるので
昔物語などさせてみると 多少は退屈も凌げるのであった

